西洋美術ドゥエ・パッスィ

白貂を抱く貴婦人(チェチリア・ガッレラーニの肖像画)

『白貂を抱く貴婦人(チェチリア・ガッレラーニの肖像画)』
レオナルド・ダ・ヴィンチ

白貂を抱く貴婦人(チェチリア・ガッレラーニの肖像画)

【図1】レオナルド・ダ・ヴィンチ『白貂を抱く貴婦人(チェチリア・ガッレラーニの肖像画)』(1490年頃、油彩、板、54.3×39.3cm チャルトリスキ・コレクション、クラクフ(ポーランド))

この白貂を胸に抱く貴婦人のモデルは、長くミラノ公爵ルドヴィコ・スフォルツァ(通称イル・モーロ)の愛人であったチェチリア・ガッレラーニであると言われている。彼女の頭部は我々の右方向へ向けられているのに対し、上半身は左方を向いている。一見簡潔なポーズにも見えるが、モデルの頭と体が、首を基点にして、微妙な均衡を保ちながらまるで対位法のように左右に振り分けられている点、画面に対して頭も胴部も平行や垂直とならない、複雑な奥行き表現を堂々とこなしている点に、画家の力量が窺える。彼女の抱える白貂はしなやかに体躯をしならせ、彼女の対位法的ポーズを繰り返している。貂はギリシャ語で「ガレ」と言い、モデルのガッレラーニの名と語呂合わせになっている。さらに白貂は、レオナルドの手稿から判ることには、上品、節度などの美徳を象徴している。

チッチリアは、ミラノの名門一族ガッレラーニ家の娘であった。その父ファツィオ・ガッレラーニは、ミラノ公国財務長官やフィレンツェ大使を務めている。ただチッチリアが80年代ミラノ宮廷に出入りするようになった頃、彼女は既に親を亡くしていたこともあり、まもなく君主イル・モーロの寵愛を受けるようになる。彼が1491年に正式な妻をフェラーラから迎えるまでおよそ10年間の長きにわたり、チッチリアは、実質上の第一夫人的存在、華やかなミラノ宮廷を彩る美貌と知性と花形貴婦人という存在であった。イル・モーロが結婚する際に、彼女は愛人関係を解消しクレモナのカルミエラーティ・ベルガミーニ伯と結婚した。

彼女のこの肖像画には、それを称えるソネットが付され、大変な評判を得た。イル・モーロの妻ベアトリーチェ・デステの姉であり、マントヴァ侯妃であったイザベッラ・デステは、その評判を聞きつけ、是非この作品を実見したいと願うようになる。彼女の胸の内には、ゆくゆくは自分もレオナルドに肖像画を描いて欲しという目論見もあったらしい。かくしてイザベッラ・デステは、1498年4月26日付のチッチリア・ベルガミーニ(結婚後にベルガミーニに姓が変わっている)に宛てた手紙で、レオナルドが描いた本作品の貸し出しを願い出ている。「…本日、ゾアンネ・ベッリーニの手になる数点の美しい肖像画を見る機会を得ました。その折にレオナルドの作品にも思いが及び、是非とも、レオナルドの諸作品と私の所有しております(ベッリーニの)諸作品とを比較してみたいという願望を持ちました。私は、レオナルドが貴女様の肖像画を御本人をモデルにして描いた、ということを覚えております。どうか、私に、貴女様の肖像画を一時お貸しして頂きたく…」。チッチリアはすぐさま快く返答した。チッチリアはイザベッラへの本作品を貸し出すにあたって以下のような書簡(1498年4月29日付、返信が現代のEメール並みに素早いことには驚かされる)を添えている。「…レオナルドの技量には欠けているところなど一つもありません。彼は他に比類のない素晴らしい画家です。ただ気がかりなのは、あの肖像画は私のごく若いころに描かれたものでありますので、現在の私の変わってしまった要望とはかけ離れてしまっており、もう同一人物とは思われないほどであることでございます…」。その書簡はレオナルドの力量を称え、現在の自分の容貌との違いに言及したのち、しかし、貴女様の喜びのためならば、私は喜んでお貸しいたしましょう。と結ばれている。「ごく若い頃」と言われるように10年以上も前に描かれた作品にもかかわらず、こうしてまだ情熱と憧憬を持って迎えいれられていることは、この肖像画がいかに大評判を博していたかを如実に示している。そもそも音楽使節としてフィレンツェからミラノへやってきたレオナルドは、こうして画家としての地位も確実なものにしていった。

スフォルツァ家の祭壇画白

【図2】『スフォルツァ家の祭壇画白』作者不詳(板、テンペラ230×165cm ブレラ美術館、ミラノ(イタリア)

この時代、肖像画の形式はまだまだ横顔が主流であった。特に北イタリアの諸宮廷では、当時流通していた古代ローマ皇帝肖像メダルなどに由来するプロフィル形式が、王侯危険に相応しい肖像形式として好まれる傾向が強く残っていた。たとえば、ミラノのブレラ美術館にある『スフォルツァ家の祭壇画』〔図2〕には、両端にミラノ公爵イル・モーロ夫妻が子供達とともに描き込まれている。玉座の聖母子、四教会博士とともに寄進者像として登場するこのミラノ君主の一家は、全員横顔で描かれている(ちなみにこの四人の横顔の肖像群は、ミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラーツィエ修道会食堂のレオナルドの『最後の晩餐』の対面にある、モノトルファーノ作『キリスト磔刑』の中で繰り返されている)。また、ミラノにおけるレオナルドの弟子の一人の作とされる『真珠の紗帽をかぶる貴婦人』〔図3〕も美しい横顔の婦人肖像画である。これらの作例は、ミラノにおける横顔形式の執着を伝えている。

真珠の紗帽をかぶる貴婦人

【図3】『真珠の紗帽をかぶる貴婦人』レオナルド・ダ・ヴィンチ工房(アンブロシアーナ美術館

ひょっとしたら、むしろ愛人という不確定の身分故に、チッチリアはかえって格式張った横顔肖像形式を免れる事が出来たのかもしれない。いずれにせよチッチリアには、正式な君主一族に相応しいタイプである威厳ある横顔形式よりも、目新しい親密な雰囲気のある斜め正面の肖像形式が選ばれた。そのおかげで私たちはチッチリアの物思うような眼差しに身近な気持ちで触れることが出来る。

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